オットセイ将軍と呼ばれたのは
徳川11代将軍家斉(イエナリ)
オットセイのあそこを乾燥させて鰹節のように削って飲んで精力をつけたという。
55人の子どもをつくったことから呼ばれている。
家臣を選ぶために菊の品評会をしすぐれた者を家臣にするという。
菊を育てるのはとても難しいが、みな素晴らしい菊を持ってきている。
オットセイ将軍はそのなかで一番下手な菊を選び、その者を家臣にしたのだ。
みな育てるのが難しい菊を専門の者にさせいたからだ。
一番下手な菊はじぶんで心を込めて育てた証し。
選ばれた者はのちに寛政の改革で活躍した松平定信であった。